<図書>
キンダイ ニホン シソウ ノ ショウゾウ
近代日本思想の肖像 / 大澤真幸 [著]
(講談社学術文庫 ; [2099])
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 講談社 |
出版年 | 2012.3 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(B1文庫) | 910.26||O74||文庫 | 1000488904 |
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越谷_人間科学部07 | 1000480594 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2012.3 |
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大きさ | 364p ; 15cm |
別書名 | 原タイトル:思想のケミストリー |
一般注記 | 「思想のケミストリー」(紀伊国屋書店 2005年刊)の改題,論文2編を追加し再編集 参考文献: p359-360 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 大沢, 真幸(1958-) <オオサワ, マサチ> |
分 類 | NDC8:910.26 NDC9:910.26 |
件 名 | BSH:日本文学 -- 作家 全ての件名で検索 |
ISBN | 9784062920995 |
NCID | BB08646502 |
書誌ID | B000493183 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
日本の近代史においては、文学者や文芸批評家が、思想の中心的な担い手となってきた。もちろん、広く影響力をもった哲学者もいるが、近代日本思想の影響力の中心につねに文学があったのは、なぜなのか。吉本隆明、柄谷行人、三島由紀夫、丸山眞男、埴谷雄高など、文学と哲学が交錯する地点でその思想の特質を再検証する。注目の社会学者の力作論考。
[目次]
“ポストモダニスト”吉本隆明
柄谷行人、予言の呪縛
原罪論―廣松渉とともに
〓(そう)扎の無思想―竹内好のナショナリズム
丸山眞男ファシズム論のネガ
トカトントンをふりはらう―丸山眞男と太宰治
明治の精神と心の自律性―漱石『こゝろ』講義
啄木を通した9・11以降―「時代閉塞」とは何か
ブルカニロ博士の消滅―賢治・大乗仏教・ファシズム
三島由紀夫、転生の破綻―『金閣寺』と『豊饒の海』
男はなぜ幼子を抱いたのか―植谷雄高『死霊』論
村上春樹『アンダーグラウンド』は何を見ようとしたのか
世界を見る眼―村上春樹『アフターダーク』を読む
巫女の視点に立つこと
まれびと考―折口信夫『死者の書』から
[あらすじ]
日本の近代史においては、文学者や文芸批評家が、思想の中心的な担い手となってきた。もちろん、広く影響力をもった哲学者もいるが、近代日本思想の影響力の中心につねに文学があったのは、なぜなのか。吉本隆明、柄谷行人、三島由紀夫、丸山眞男、埴谷雄高など、文学と哲学が交錯する地点でその思想の特質を再検証する。注目の社会学者の力作論考。
[目次]
“ポストモダニスト”吉本隆明
柄谷行人、予言の呪縛
原罪論―廣松渉とともに
〓(そう)扎の無思想―竹内好のナショナリズム
丸山眞男ファシズム論のネガ
トカトントンをふりはらう―丸山眞男と太宰治
明治の精神と心の自律性―漱石『こゝろ』講義
啄木を通した9・11以降―「時代閉塞」とは何か
ブルカニロ博士の消滅―賢治・大乗仏教・ファシズム
三島由紀夫、転生の破綻―『金閣寺』と『豊饒の海』
男はなぜ幼子を抱いたのか―植谷雄高『死霊』論
村上春樹『アンダーグラウンド』は何を見ようとしたのか
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