<図書>
ニホンジン ワ ナゼ サヨウナラ ト ワカレル ノカ
日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか / 竹内整一著
(ちくま新書 ; 764)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 筑摩書房 |
出版年 | 2009.1 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 121.04||Ta67 | 1000406653 |
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東京あだち図書館(3F一般書架)新書 | CHS||764 | 2211071908 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2009.1 |
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大きさ | 219p ; 18cm |
別書名 | 異なりアクセスタイトル:日本人はなぜさようならと別れるのか 異なりアクセスタイトル:日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか |
一般注記 | 引用・参考文献: p216-219 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | *竹内, 整一(1946-) <タケウチ, セイイチ> |
分 類 | NDC8:121.04 NDC9:121.04 |
件 名 | BSH:日本思想 |
ISBN | 9784480064677 |
NCID | BA88492912 |
書誌ID | B000418708 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。
[目次]
第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史
第2章 死の臨床と死生観
第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死
第4章 「いまは」の思想
第5章 不可避としての「さようなら」―「そうならなければならないならば」
第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」
第7章 出会いと別れの形而上学
第8章 「さようなら」としての死
[あらすじ]
一般に世界の別れ言葉は、「神の身許によくあれかし」(Goodbye)か、「また会いましょう」(See you again)か、「お元気で」(Farewell)のどれかである。なぜ、日本人は「さようなら」と言って別れるのだろうか。語源である接続詞「さらば(そうであるならば)」にまで遡り、また「そうならなければならないならば」という解釈もあわせて検証しながら、別れ言葉「さようなら」にこめてきた日本人の別れの精神史を探究する。
[目次]
第1章 「さらば」「さようなら」という言葉の歴史
第2章 死の臨床と死生観
第3章 日本人の死生観における「今日」の生と「明日」の死
第4章 「いまは」の思想
第5章 不可避としての「さようなら」―「そうならなければならないならば」
第6章 「さようなら」と「あきらめ」と「かなしみ」
第7章 出会いと別れの形而上学
第8章 「さようなら」としての死
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