<図書>
ワタシ ノ カラダ オ トオリスギテ イッタ ザッシ タチ
私の体を通り過ぎていった雑誌たち / 坪内祐三著
(新潮文庫 ; つ-18-2)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 新潮社 |
出版年 | 2008.6 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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湘南図書館(2F文庫新書コーナー) | Sh||つ||18-2 | 2211070720 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2008.6 |
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大きさ | 370p ; 16cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 坪内, 祐三(1958-2020) <ツボウチ, ユウゾウ> |
分 類 | NDC8:051 NDC9:051 |
件 名 | BSH:雑誌 |
ISBN | 9784101226323 |
NCID | BA85981967 |
書誌ID | B000742380 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
古い雑誌を眺めれば、その頃の記憶が、時代の空気が、甦ってくる。小学生時代、夢中になったプロレス雑誌。中学ではじめて定期購読を経験した映画雑誌。高校ではロックに目覚め音楽雑誌を読みふけり、大学ではついにミニコミ誌でライターとしてデビュー。1960年代から80年代。雑誌が一番面白かったあの頃の全34誌を思い出と共に振り返る、資料としても貴重な極私的青春クロニクル。
[目次]
小学校時代(一九六五‐一九七一)―雑誌が私の学校だった(初めて買った雑誌は『冒険王』と『少年画報』だ
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい“総合雑誌”だった ほか)
中学校時代(一九七一‐一九七四)―いよいよ雑誌にはまっていった(『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告 ほか)
高校時代(一九七四‐一九七七)―いわゆる「雑誌の時代」のリアルタイムでドキドキ(出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない ほか)
予備校時代(一九七七‐一九七八)―いつのまにかに読書家になっていた(いかにして私は文春小僧となりしか
実は『面白半分』を愛読していたわけではない ほか)
大学時代(一九七八‐一九八三)―チッと思いながらも実は新しいものも好きだった(“たしかに冬樹社という時代があった”『50冊の本』
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立に何かが始まる予感があった ほか)
[あらすじ]
古い雑誌を眺めれば、その頃の記憶が、時代の空気が、甦ってくる。小学生時代、夢中になったプロレス雑誌。中学ではじめて定期購読を経験した映画雑誌。高校ではロックに目覚め音楽雑誌を読みふけり、大学ではついにミニコミ誌でライターとしてデビュー。1960年代から80年代。雑誌が一番面白かったあの頃の全34誌を思い出と共に振り返る、資料としても貴重な極私的青春クロニクル。
[目次]
小学校時代(一九六五‐一九七一)―雑誌が私の学校だった(初めて買った雑誌は『冒険王』と『少年画報』だ
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい“総合雑誌”だった ほか)
中学校時代(一九七一‐一九七四)―いよいよ雑誌にはまっていった(『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告 ほか)
高校時代(一九七四‐一九七七)―いわゆる「雑誌の時代」のリアルタイムでドキドキ(出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない ほか)
予備校時代(一九七七‐一九七八)―いつのまにかに読書家になっていた(いかにして私は文春小僧となりしか
実は『面白半分』を愛読していたわけではない ほか)
大学時代(一九七八‐一九八三)―チッと思いながらも実は新しいものも好きだった(“たしかに冬樹社という時代があった”『50冊の本』
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立に何かが始まる予感があった ほか)
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