<図書>
ジガゾウ ノ ユクエ
自画像のゆくえ / 森村泰昌著
(光文社新書 ; 1028)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 光文社 |
出版年 | 2019.10 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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湘南図書館(3F一般書架) | 720.2||Mo56 | 2211105407 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2019.10 |
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大きさ | 615p, 図版 [8] p : 挿図 ; 18cm |
一般注記 | 参考文献: p607-613 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 森村, 泰昌(1951-) <モリムラ, ヤスマサ> |
分 類 | NDC8:723 NDC9:723 NDC9:724.558 NDC10:723 |
件 名 | BSH:画家 BSH:肖像画 NDLSH:自画像 -- 歴史 全ての件名で検索 |
ISBN | 9784334044374 |
NCID | BB2906005X |
書誌ID | B000914575 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
自撮り時代の「わたし」をめぐる物語。セルフポートレイト写真(自画像的写真)をつくりつづけてきた美術家が約600年の自画像の歴史をふりかえりながら綴る「実践的自画像論」。
[目次]
第1章 自画像のはじまり―鏡の国の画家
第2章 カラヴァッジョ―ナイフが絵筆に変わるとき
第3章 ベラスケス―画家はなぜ絵のなかに登場したのか
第4章 レンブラント―すべての「わたし」は演技である
第5章 フェルメール―自画像を描かなかった画家について
第6章 ゴッホ―ひとつの「わたし」をふたつの命が生きるとき
第7章 フリーダ・カーロ―つながった眉毛のほんとうの意味
第8章 アンディ・ウォーホル―「シンドレラ」と呼ばれた芸術家
第9章 さまよえるニッポンの自画像―「わたし」の時代が青春であったとき
終章 最後の自画像
[あらすじ]
自撮り時代の「わたし」をめぐる物語。セルフポートレイト写真(自画像的写真)をつくりつづけてきた美術家が約600年の自画像の歴史をふりかえりながら綴る「実践的自画像論」。
[目次]
第1章 自画像のはじまり―鏡の国の画家
第2章 カラヴァッジョ―ナイフが絵筆に変わるとき
第3章 ベラスケス―画家はなぜ絵のなかに登場したのか
第4章 レンブラント―すべての「わたし」は演技である
第5章 フェルメール―自画像を描かなかった画家について
第6章 ゴッホ―ひとつの「わたし」をふたつの命が生きるとき
第7章 フリーダ・カーロ―つながった眉毛のほんとうの意味
第8章 アンディ・ウォーホル―「シンドレラ」と呼ばれた芸術家
第9章 さまよえるニッポンの自画像―「わたし」の時代が青春であったとき
終章 最後の自画像
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