<図書>
キョウイク ト ビョウドウ : タイシュウ キョウイク シャカイ ワ イカニ セイセイ シタカ
教育と平等 : 大衆教育社会はいかに生成したか / 苅谷剛彦著
(中公新書 ; 2006)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 中央公論新社 |
出版年 | 2009.6 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 372.1||Ka67 | 1000413705 |
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越谷図書館(B1PCルーム前)GAKUMON | 教育||g | 1000596650 |
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湘南図書館(2F文庫新書コーナー) | C||2006 | 2211073690 |
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越谷_特別支援教育研00 | 1000424563 |
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越谷_発達教育課程05 | 1000425367 |
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越谷_発達教育課程05 | 1000425832 |
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越谷_教職課程03 | 1000424346 |
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越谷_教職課程04 | 1000424115 |
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越谷_教職課程08 | 1000425040 |
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越谷_英文科03 | 1000413824 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2009.6 |
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大きさ | 290p : 挿図 ; 18cm |
一般注記 | 参考文献: p287-290 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | *苅谷, 剛彦(1955-) <カリヤ, タケヒコ> |
分 類 | NDC8:372.1 NDC9:372.107 |
件 名 | BSH:日本 -- 教育
全ての件名で検索
BSH:教育政策 |
ISBN | 9784121020062 |
NCID | BA90437429 |
書誌ID | B000433802 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡まり合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。
[目次]
プロローグ 平等神話の解読
第1章 対立の構図と問題の底流
第2章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ
第3章 設計図はいかに描かれたか
第4章 「面の平等」と知られざる革命
第5章 標準化のアンビバレンス
エピローグ 屈折する視線―個人と個性の錯視
[あらすじ]
戦後教育において「平等」はどのように考えられてきたのだろうか。本書が注目するのは、義務教育費の配分と日本的な平等主義のプロセスである。そのきわめて特異な背景には、戦前からの地方財政の逼迫と戦後の人口動態、アメリカから流入した「新教育」思想とが複雑に絡まり合っていた。セーフティネットとしての役割を維持してきたこの「戦後レジーム」がなぜ崩壊しつつあるのか、その原点を探る。
[目次]
プロローグ 平等神話の解読
第1章 対立の構図と問題の底流
第2章 戦前のトラウマと源流としてのアメリカ
第3章 設計図はいかに描かれたか
第4章 「面の平等」と知られざる革命
第5章 標準化のアンビバレンス
エピローグ 屈折する視線―個人と個性の錯視
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