<図書>
ハッタツ ショウガイ ノ ウチガワ カラ ミタ セカイ : ナザス コト ト ワカル コト
発達障害の内側から見た世界 : 名指すことと分かること / 兼本浩祐著
(講談社選書メチエ ; 720)
データ種別 | 図書 |
---|---|
出版者 | 東京 : 講談社 |
出版年 | 2020.1 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|
越谷図書館(2F一般書架) | 493.76||Ka53 | 1000599735 |
|
|||
|
|
湘南図書館(3F一般書架) | 493.76||Ka53 | 2111146163 |
|
書誌詳細を非表示
出版年 | 2020.1 |
---|---|
大きさ | 213p : 挿図 ; 19cm |
一般注記 | 参考文献: p213 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 兼本, 浩祐 <カネモト, コウスケ> |
分 類 | NDC10:493.76 |
件 名 | BSH:発達障害 NDLSH:発達障害 |
ISBN | 9784065185285 |
NCID | BB29497954 |
書誌ID | B000920598 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
精神科医が自分を振り返り、自らを「発達障害」の一つと診断したとき、自分というもののあり方、他者との関係や理解・了解はどのように見えてくるのだろうか。本来一つにはまとめられない一人間の身体や心の傾向性が、定義づけられた診断名によって一つに名指されることの問題。診断名は説明を可能にするが、それは人を了解することと同じ事態なのか。むしろ何か質的な違いがあるのではないか。互いに「通じる」「分かる」ことへの接近の道を探る。
[目次]
第1章 発達性協調運動障害者としての「私」史(逆上がりと跳び箱の記憶
「みんな僕のことが好き」という確信 ほか)
第2章 「診断」されるということ(私のスペックと「私」の関係
病名というものには二種類ある ほか)
第3章 了解するということ(三つの異なる「分かってくれない」
静的了解と発生的了解 ほか)
第4章 了解を断念しなければならない時(了解不能という判断
了解を断念してはならない場合 ほか)
第5章 事例「私」の正しい取り扱い方(治療・保護・スプラ
病気として治療する ほか)
[あらすじ]
精神科医が自分を振り返り、自らを「発達障害」の一つと診断したとき、自分というもののあり方、他者との関係や理解・了解はどのように見えてくるのだろうか。本来一つにはまとめられない一人間の身体や心の傾向性が、定義づけられた診断名によって一つに名指されることの問題。診断名は説明を可能にするが、それは人を了解することと同じ事態なのか。むしろ何か質的な違いがあるのではないか。互いに「通じる」「分かる」ことへの接近の道を探る。
[目次]
第1章 発達性協調運動障害者としての「私」史(逆上がりと跳び箱の記憶
「みんな僕のことが好き」という確信 ほか)
第2章 「診断」されるということ(私のスペックと「私」の関係
病名というものには二種類ある ほか)
第3章 了解するということ(三つの異なる「分かってくれない」
静的了解と発生的了解 ほか)
第4章 了解を断念しなければならない時(了解不能という判断
了解を断念してはならない場合 ほか)
第5章 事例「私」の正しい取り扱い方(治療・保護・スプラ
病気として治療する ほか)
類似資料
この資料の利用統計
このページへのアクセス回数:5回
※2021年3月24日以降
全貸出数:0回
(1年以内の貸出:0回)
※2020年3月24日以降