<図書>
オトナ ノ シマツ
おとなの始末 / 落合恵子著
(集英社新書 ; 0809B)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 集英社 |
出版年 | 2015.11 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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東京あだち図書館(3F一般書架)新書 | SS||0809B | 2211089932 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2015.11 |
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大きさ | 254p ; 18cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 落合, 恵子 (1945-) <オチアイ, ケイコ> |
分 類 | NDC8:914.6 NDC9:914.6 |
ISBN | 9784087208092 |
NCID | BB19960644 |
書誌ID | B000790715 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
「自分の人生にどう決着をつけていくか」は、人生の終盤を迎えた中高年にとって大きな課題である。定年を見据えたうえでの仕事への向き合い方、避けては通れない家族問題、いつか必ずやらねばならない生活環境の整理、老いていく自分への対応…。いわゆる“終活”にとどまらない、リアリティを持った人生の締めくくり方、始末のつけ方とは何か。自身の死生観や倫理観に対峙しながら、「自分の人生にどうかっこよく幕を引くか」をテーマに新しい生き方を考える。
[目次]
第1章 おとなの始末とはなにか―そのうちきっと、と思っているだけでは、「そのうち」は決してこない。
第2章 仕事の始末―仕事は楽しいか。あるいは苦痛でしかないか。楽しいと苦痛の様々なグラーションを往復しているのが、おおかたの現実というものだろう。
第3章 人間関係の始末―血縁がすべてか?「家族」と呼ばれる人間関係で、「家庭」と呼ばれる空間で、傷ついているひとはいないか?友人関係においてもまた。
第4章 社会の始末―自由に生きたい。平和に生きたい。差別は、したくも、されたくもない。「殺し、殺される」法律など、まっぴらごめん。だからわたしは、声をあげる。
第5章 暮らしの始末―暮らし、というこの愛おしくも懐かしくも、けれど、時に、うっとうしいもの。『Good Morning Heartache』でも聴きながら、暮らしと向き合ってみよう。
第6章 「わたし」の始末―第一章から第五章まで、なんとか辿りつけたとしても…。最も高いハードルがまだある。
[あらすじ]
「自分の人生にどう決着をつけていくか」は、人生の終盤を迎えた中高年にとって大きな課題である。定年を見据えたうえでの仕事への向き合い方、避けては通れない家族問題、いつか必ずやらねばならない生活環境の整理、老いていく自分への対応…。いわゆる“終活”にとどまらない、リアリティを持った人生の締めくくり方、始末のつけ方とは何か。自身の死生観や倫理観に対峙しながら、「自分の人生にどうかっこよく幕を引くか」をテーマに新しい生き方を考える。
[目次]
第1章 おとなの始末とはなにか―そのうちきっと、と思っているだけでは、「そのうち」は決してこない。
第2章 仕事の始末―仕事は楽しいか。あるいは苦痛でしかないか。楽しいと苦痛の様々なグラーションを往復しているのが、おおかたの現実というものだろう。
第3章 人間関係の始末―血縁がすべてか?「家族」と呼ばれる人間関係で、「家庭」と呼ばれる空間で、傷ついているひとはいないか?友人関係においてもまた。
第4章 社会の始末―自由に生きたい。平和に生きたい。差別は、したくも、されたくもない。「殺し、殺される」法律など、まっぴらごめん。だからわたしは、声をあげる。
第5章 暮らしの始末―暮らし、というこの愛おしくも懐かしくも、けれど、時に、うっとうしいもの。『Good Morning Heartache』でも聴きながら、暮らしと向き合ってみよう。
第6章 「わたし」の始末―第一章から第五章まで、なんとか辿りつけたとしても…。最も高いハードルがまだある。
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