<図書>
ソレデモ コドモ ワ ヘッテ イク
それでも子どもは減っていく / 本田和子著
(ちくま新書 ; 813)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 筑摩書房 |
出版年 | 2009.11 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 334.31||H84 | 1000420213 |
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東京あだち図書館(3F一般書架)新書 | CHS||813 | 2211074812 |
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越谷_英文科03 | 1000418246 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2009.11 |
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大きさ | 232p ; 18cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 本田, 和子 (1931-) <ホンダ, マスコ> |
分 類 | NDC8:334.31 NDC9:334.31 NDC9:367.61 |
件 名 | BSH:少子化 BSH:日本 -- 人口 全ての件名で検索 BSH:女性問題 BSH:児童 |
ISBN | 9784480065179 |
NCID | BB00083166 |
書誌ID | B000438552 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
出生率低下は成熟社会に伴う必然。それにもかかわらず為政者は子どもを未来の「労働力=納税者」として増やそうとする。本書が明らかにするのは、そうした思惑とは裏腹に、産むことを拒み、あるいは少なく産むことを望んでいる女性たちの実態であり、また、「いま、子どもである人々」の存在意義である。少子社会はその当事者にとってどのような意味を持つのか、「子ども学」の第一人者が展望する。
[目次]
第1章 花開く「少子化論争」(働く女性の支援と「少子化対策」―初期の方針
「多産奨励対策」への批判
人口減少社会の制度設計
少子化を受け止めて
産まない選択をする人々
現行の「少子化論争」をめぐって)
第2章 「子ども削減」の系譜(近代以前の「子ども削減」策
近代以降の問題)
第3章 女性と母性の拮抗(女性にとっての「子ども」―「私的所有物」か「公共的財産」か
底辺層からの声
母性観の現代)
第4章 「子どもの発見」と児童の世紀(「科学」される子ども
「学校の生徒」となる子ども
「数字」で計られる子ども
「子ども消費者」の発見
「死なない子ども」の誕生)
第5章 「子ども」の存在意義(「効用」という尺度で計られるとき
当事者として「いま、子どもであること」)
[あらすじ]
出生率低下は成熟社会に伴う必然。それにもかかわらず為政者は子どもを未来の「労働力=納税者」として増やそうとする。本書が明らかにするのは、そうした思惑とは裏腹に、産むことを拒み、あるいは少なく産むことを望んでいる女性たちの実態であり、また、「いま、子どもである人々」の存在意義である。少子社会はその当事者にとってどのような意味を持つのか、「子ども学」の第一人者が展望する。
[目次]
第1章 花開く「少子化論争」(働く女性の支援と「少子化対策」―初期の方針
「多産奨励対策」への批判
人口減少社会の制度設計
少子化を受け止めて
産まない選択をする人々
現行の「少子化論争」をめぐって)
第2章 「子ども削減」の系譜(近代以前の「子ども削減」策
近代以降の問題)
第3章 女性と母性の拮抗(女性にとっての「子ども」―「私的所有物」か「公共的財産」か
底辺層からの声
母性観の現代)
第4章 「子どもの発見」と児童の世紀(「科学」される子ども
「学校の生徒」となる子ども
「数字」で計られる子ども
「子ども消費者」の発見
「死なない子ども」の誕生)
第5章 「子ども」の存在意義(「効用」という尺度で計られるとき
当事者として「いま、子どもであること」)
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