このページのリンク

<図書>
ナゼ ニホンジン ワ トリアエズ アヤマル ノカ : 「ユルシ」 ト 「ハズシ」 ノ セケンロン
なぜ日本人はとりあえず謝るのか : 「ゆるし」と「はずし」の世間論 / 佐藤直樹著
(PHP新書 ; 719)

データ種別 図書
出版者 東京 : PHP研究所
出版年 2011.3

所蔵情報を非表示



越谷図書館(2F一般書架) 361.42||Sa85 1000456436

書誌詳細を非表示

出版年 2011.3
大きさ 216p ; 18cm
別書名 異なりアクセスタイトル:なぜ日本人はとりあえず謝るのか : ゆるしとはずしの世間論
異なりアクセスタイトル:なぜ日本人はとりあえず謝るのか
本文言語 日本語
著者標目  佐藤, 直樹(1951-) <サトウ, ナオキ>
分 類 NDC8:326.01
NDC9:326.01
NDC9:361.3
件 名 BSH:刑法
BSH:法社会学
BSH:法心理学
BSH:謝罪
NDLSH:社会的相互作用
NDLSH:日本 -- 社会  全ての件名で検索
ISBN 9784569795522
NCID BB04932918
書誌ID B000473261
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より

[あらすじ]
日本人はだれしも「世間」にとらわれている。世間という人的関係の中で、「ゆるし」や「義理」「人情」といった原理に庇護され、安心を得る。故に、日本人は世間からの「はずし」を強く恐れる。犯罪や不祥事を起こした日本人は、ただちに謝罪しなければならない。日本では真摯な謝罪によって、世間からの「ゆるし」を得て「はずし」を回避することができるのだ。ところが近年、日本の刑事司法が厳罰化する傾向にある。これは「世間」の寛容さが失われつつあることのあらわれなのか?日本「世間」の現在を問う意欲作。

[目次]
第1章 日本人を縛る「世間」とはなにか―なぜ年齢にこだわるのか
第2章 「世間」における「ゆるし」と「はずし」―日本の犯罪率が低いわけ
第3章 「はずし」としての厳罰化―「後期近代」への突入か
第4章 「ゆるし」としての刑法三九条―理性と自由意思をもった人間?
第5章 「ゆるし」としての少年法―「プチ世間」の登場
第6章 謝罪と「ゆるし」―出すぎた杭は打たれない

 類似資料