<図書>
セッショウ ト センソウ ノ ミンゾクガク : ヤナギタ クニオ ト チバ トクジ
殺生と戦争の民俗学 : 柳田國男と千葉徳爾 / 大塚英志著
(角川選書 ; 582)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : KADOKAWA |
出版年 | 2017.3 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷_人間科学部07 | 380.1||O88 | 1000572523 |
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越谷_人間科学部12 | 380.1||O88 | 1000566133 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2017.3 |
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大きさ | 390p ; 19cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 大塚, 英志(1958-) <オオツカ, エイジ> |
分 類 | NDC8:380.1 NDC9:380.1 |
件 名 | BSH:千葉, 徳爾 BSH:柳田, 国男 BSH:民俗学 |
ISBN | 9784047036079 |
NCID | BB23320690 |
書誌ID | B000850833 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
柳田國男の最後の弟子、千葉徳爾。だが師の名に比して彼を知る人は少ない。徹底して自然主義を貫いた千葉は、しかしその異端さゆえに、「民俗学者」と名乗ることに抗い続けた柳田の最も正統な弟子とも言える。千葉が異様なほど固執した「殺生の快楽」、必然的に導かれる「戦争」と民俗学の密接な関わり。「公民の民俗学」として柳田学を説いてきた著者が、自らの師の研究に対峙し、現代の民俗学の在り方までを問う渾身の評論。
[目次]
序章 千葉徳爾『切腹の話』を読む
第1章 『山の人生』とワンダーフォーゲル
第2章 青年運動としての民俗学
第3章 殺生の快楽
第4章 戦場の民俗学者
第5章 実験の史学という問題
第6章 「固有信仰」としての残虐性
第7章 環境の民俗学
第8章 コラージュする民俗学者
第9章 「閃き」と「排泄」の学問
第10章 日本民俗学の「頽廃」とは何か
第11章 千葉徳爾のロマン主義殺し―再び「聖セバスチャン」殉教画をめぐって
[あらすじ]
柳田國男の最後の弟子、千葉徳爾。だが師の名に比して彼を知る人は少ない。徹底して自然主義を貫いた千葉は、しかしその異端さゆえに、「民俗学者」と名乗ることに抗い続けた柳田の最も正統な弟子とも言える。千葉が異様なほど固執した「殺生の快楽」、必然的に導かれる「戦争」と民俗学の密接な関わり。「公民の民俗学」として柳田学を説いてきた著者が、自らの師の研究に対峙し、現代の民俗学の在り方までを問う渾身の評論。
[目次]
序章 千葉徳爾『切腹の話』を読む
第1章 『山の人生』とワンダーフォーゲル
第2章 青年運動としての民俗学
第3章 殺生の快楽
第4章 戦場の民俗学者
第5章 実験の史学という問題
第6章 「固有信仰」としての残虐性
第7章 環境の民俗学
第8章 コラージュする民俗学者
第9章 「閃き」と「排泄」の学問
第10章 日本民俗学の「頽廃」とは何か
第11章 千葉徳爾のロマン主義殺し―再び「聖セバスチャン」殉教画をめぐって
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