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<図書>
エイガ ワ チチ オ コロス タメ ニ アル : ツウカ ギレイ ト イウ ミカタ
映画は父を殺すためにある : 通過儀礼という見方 / 島田裕巳著
(ちくま文庫 ; [し-32-2])

データ種別 図書
出版者 東京 : 筑摩書房
出版年 2012.5

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湘南図書館(2F文庫新書コーナー) CH||し||32-2 2211082214

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出版年 2012.5
大きさ 246p ; 15cm
別書名 原タイトル:ローマで王女が知ったこと : 映画が描く通過儀礼
一般注記 「ローマで王女が知ったこと--映画が描く通過儀礼」(1995年刊)の改題,大幅に加筆訂正
本文言語 日本語
著者標目  島田, 裕巳(1953-) <シマダ, ヒロミ>
分 類 NDC8:778.04
NDC9:778.04
件 名 BSH:映画
ISBN 9784480429407
NCID BB09102248
書誌ID B000769960
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より

[あらすじ]
映画には見方がある。“通過儀礼”という宗教学の概念で映画を分析することで、隠されたメッセージを読み取ることができる。日本とアメリカの青春映画の比較、宮崎映画の批判、アメリカ映画が繰り返し描く父と息子との関係、黒沢映画と小津映画の新しい見方、寅さんと漱石の意外な共通点を明らかにする。映画は、人生の意味を解釈する枠組みを示してくれる。

[目次]
予告編
1 『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方
2 同じ鉄橋は二度渡れない―『スタンド・バイ・ミー』と『櫻の園』
3 『魔女の宅急便』のジジはなぜことばを失ったままなのか?
4 アメリカ映画は父殺しを描く
5 黒澤映画と小津映画のもう一つの見方
6 寅さんが教えてくれる日本的通過儀礼
7 総集編

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