<図書>
シネナイ ジダイ ノ テツガク
死ねない時代の哲学 / 村上陽一郎著
(文春新書 ; 1252)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 文藝春秋 |
出版年 | 2020.2 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 490.1||Mu43 | 1000601358 |
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東京あだち図書館(3F一般書架)新書 | BS||1252 | 2211106302 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2020.2 |
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大きさ | 231p ; 18cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 村上, 陽一郎(1936-) <ムラカミ, ヨウイチロウ> |
分 類 | NDC8:490.15 NDC9:490.15 NDC10:490.15 |
件 名 | BSH:生と死 |
ISBN | 9784166612529 |
NCID | BB29752530 |
書誌ID | B000918888 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
細菌やウイルスに突然、命を奪われる時代が終わり、有数の長寿社会が実現したいま、歴史上はじめて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるをえなくなった。死生観、安楽死、尊厳死、終末期医療…科学哲学の泰斗が示した、死を準備するために考えておくべきこと。
[目次]
第1章 なぜ「死ねない」のか(医学は経験論だった
歴史の浅い近代医学 ほか)
第2章 日本人の死生観(神話にみる死生観
人間は死んだらどこへ行くのか ほか)
第3章 死は自己決定できるのか(安楽死をめぐる世界の状況
尊厳死が容認されているアメリカ ほか)
第4章 医療資源・経済と安楽死(「死ねない」理由
胃瘻と経営 ほか)
最終章 死を準備する(生きてきたように死ぬ
いまをどう生きるか ほか)
[あらすじ]
細菌やウイルスに突然、命を奪われる時代が終わり、有数の長寿社会が実現したいま、歴史上はじめて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるをえなくなった。死生観、安楽死、尊厳死、終末期医療…科学哲学の泰斗が示した、死を準備するために考えておくべきこと。
[目次]
第1章 なぜ「死ねない」のか(医学は経験論だった
歴史の浅い近代医学 ほか)
第2章 日本人の死生観(神話にみる死生観
人間は死んだらどこへ行くのか ほか)
第3章 死は自己決定できるのか(安楽死をめぐる世界の状況
尊厳死が容認されているアメリカ ほか)
第4章 医療資源・経済と安楽死(「死ねない」理由
胃瘻と経営 ほか)
最終章 死を準備する(生きてきたように死ぬ
いまをどう生きるか ほか)
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