<図書>
キリストキョウ ワ ヤク ニ タツカ
キリスト教は役に立つか / 来住英俊著
(新潮選書)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 新潮社 |
出版年 | 2017.4 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 190||Ki56 | 1000567857 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2017.4 |
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大きさ | 237p ; 20cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 来住, 英俊(1951-) <キシ, ヒデトシ> |
分 類 | NDC8:190 NDC9:190 |
件 名 | BSH:キリスト教 NDLSH:キリスト教 |
ISBN | 9784106038006 |
NCID | BB23556267 |
書誌ID | B000855829 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
信仰とは無縁だった灘高・東大卒の企業人は、いかにして30歳でカトリック司祭への転身を決意したのか。なぜ漠然と抱えてきた「孤独感」を解消できたのか。旧約聖書から新約聖書、遠藤周作からドストエフスキー、寅さんからエヴァンゲリオンまで、幅広くエピソードを引きながら、ノン・クリスチャンの日本人にも役立つ「救いの構造」をわかりやすく解説する。
[目次]
第1章 キリスト教は役に立つか(キリスト教も現世利益を祈る
「祈り」とは「対話」である
神と人間はどのように語るのか ほか)
第2章 キリスト者はイエスの存在をどのように感じるのか(イエスが部外者であったとき
イエスが自分の世界に入ってきたとき
イエスが旅の伴侶になるとき ほか)
第3章 「共に生きる」とはどういうことか―キリスト教の幸福論(他人への怖れ
世界への怖れ
自分への怖れ ほか)
[あらすじ]
信仰とは無縁だった灘高・東大卒の企業人は、いかにして30歳でカトリック司祭への転身を決意したのか。なぜ漠然と抱えてきた「孤独感」を解消できたのか。旧約聖書から新約聖書、遠藤周作からドストエフスキー、寅さんからエヴァンゲリオンまで、幅広くエピソードを引きながら、ノン・クリスチャンの日本人にも役立つ「救いの構造」をわかりやすく解説する。
[目次]
第1章 キリスト教は役に立つか(キリスト教も現世利益を祈る
「祈り」とは「対話」である
神と人間はどのように語るのか ほか)
第2章 キリスト者はイエスの存在をどのように感じるのか(イエスが部外者であったとき
イエスが自分の世界に入ってきたとき
イエスが旅の伴侶になるとき ほか)
第3章 「共に生きる」とはどういうことか―キリスト教の幸福論(他人への怖れ
世界への怖れ
自分への怖れ ほか)
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