<図書>
ニホン テツガク ショウシ : キンダイ 100ネン ノ 20ヘン
日本哲学小史 : 近代100年の20篇 / 熊野純彦編著
(中公新書 ; 2036)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 中央公論新社 |
出版年 | 2009.12 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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湘南図書館(2F文庫新書コーナー) | C||2036 | 2211075145 |
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越谷_教職課程08 | 1000425070 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2009.12 |
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大きさ | 333p : 肖像 ; 18cm |
別書名 | 異なりアクセスタイトル:日本哲学小史 : 近代100年の20篇 |
一般注記 | 関連年表: 巻末 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 熊野, 純彦(1958-) <クマノ, スミヒコ> |
分 類 | NDC8:121.6 NDC9:121.6 |
件 名 | BSH:日本思想 -- 歴史 全ての件名で検索 |
ISBN | 9784121020369 |
NCID | BB00453505 |
書誌ID | B000444120 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
明治初年にフィロソフィーという考え方が移入されて以降、日本哲学にはいくつものドラマが生まれた。例えば漱石や鴎外のように、文学と混淆していた黎明期、西田幾多郎が『善の研究』で日本中の青年を魅了し、田邊元や和辻哲郎が西洋の哲学者と切り結びつつ独自に思想を花ひらかせた頃、西田とはまったく異なる文体で大森荘蔵や廣松渉が哲学を語り始めた戦後…。本書によってはじめて、近代日本哲学の沃野が一望される。
[目次]
第1部 近代日本哲学の展望―「京都学派」を中心にして(前史―西田幾多郎まで
学派―下村寅太郎まで
転回―マルクスの衝撃
終焉―田中美知太郎へ)
第2部 近代日本哲学の名著―五つの問題群を中心にして(ことばへの視線
身体性と共同性
具体性の思考へ
社会性の構造へ
哲学史への視点)
[あらすじ]
明治初年にフィロソフィーという考え方が移入されて以降、日本哲学にはいくつものドラマが生まれた。例えば漱石や鴎外のように、文学と混淆していた黎明期、西田幾多郎が『善の研究』で日本中の青年を魅了し、田邊元や和辻哲郎が西洋の哲学者と切り結びつつ独自に思想を花ひらかせた頃、西田とはまったく異なる文体で大森荘蔵や廣松渉が哲学を語り始めた戦後…。本書によってはじめて、近代日本哲学の沃野が一望される。
[目次]
第1部 近代日本哲学の展望―「京都学派」を中心にして(前史―西田幾多郎まで
学派―下村寅太郎まで
転回―マルクスの衝撃
終焉―田中美知太郎へ)
第2部 近代日本哲学の名著―五つの問題群を中心にして(ことばへの視線
身体性と共同性
具体性の思考へ
社会性の構造へ
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