<図書>
リセイ ノ ゲンカイ : フカノウセイ フカクテイセイ フカンゼンセイ
理性の限界 : 不可能性・不確定性・不完全性 / 高橋昌一郎著
(講談社現代新書 ; 1948)
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 講談社 |
出版年 | 2008.6 |
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巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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湘南図書館(2F文庫新書コーナー) | K||A||1948 | 2211070252 |
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越谷_教職課程08 | 1000514592 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2008.6 |
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大きさ | 274p : 挿図 ; 18cm |
別書名 | 異なりアクセスタイトル:理性の限界 : 不可能性不確定性不完全性 |
一般注記 | 参考文献: p267-274 |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 高橋, 昌一郎(1959-) <タカハシ, ショウイチロウ> |
分 類 | NDC8:116 NDC9:116 |
件 名 | BSH:論理学 NDLSH:不確定性原理 NDLSH:ゲーデルの定理 |
ISBN | 9784062879484 |
NCID | BA86188240 |
書誌ID | B000411516 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか?いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか?あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか?従来、哲学で扱われてきたこれらの難問に、多様な視点から切り込んだ議論(ディベート)は、アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理、さらにゲーデルの不完全性定理へと展開し、人類の到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心を明らかにする。そして、覗きこんだ自然界の中心に見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく…。
[目次]
序章 理性の限界とは何か(選択の限界
究極の限界値
科学の限界
知識の限界
ディスカッションのルール)
第1章 選択の限界(投票のパラドックス
アロウの不可能性定理
囚人のジレンマ
合理的選択の限界と可能性)
第2章 科学の限界(科学とは何か
ハイゼンベルクの不確定性原理
EPRパラドックス
科学的認識の限界と可能性)
第3章 知識の限界(ぬきうちテストのパラドックス
ゲーデルの不完全性定理
認知論理システム
論理的思考の限界と可能性)
[あらすじ]
私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか?いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか?あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか?従来、哲学で扱われてきたこれらの難問に、多様な視点から切り込んだ議論(ディベート)は、アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理、さらにゲーデルの不完全性定理へと展開し、人類の到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心を明らかにする。そして、覗きこんだ自然界の中心に見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく…。
[目次]
序章 理性の限界とは何か(選択の限界
究極の限界値
科学の限界
知識の限界
ディスカッションのルール)
第1章 選択の限界(投票のパラドックス
アロウの不可能性定理
囚人のジレンマ
合理的選択の限界と可能性)
第2章 科学の限界(科学とは何か
ハイゼンベルクの不確定性原理
EPRパラドックス
科学的認識の限界と可能性)
第3章 知識の限界(ぬきうちテストのパラドックス
ゲーデルの不完全性定理
認知論理システム
論理的思考の限界と可能性)
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