<図書>
ニホン サブカルチャー オ ヨム : ギンガ テツドウ ノ ヨル カラ AKB48 マデ
日本サブカルチャーを読む : 銀河鉄道の夜からAKB48まで / 押野武志編著
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 札幌 : 北海道大学出版会 |
出版年 | 2015.3 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(2F一般書架) | 361.5||O77 | 1000540016 |
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東京あだち図書館(3F一般書架) | 361.5||O77 | 2111129760 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2015.3 |
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大きさ | vii, 332, 7p ; 19cm |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 押野, 武志 <オシノ, タケシ> |
件 名 | NDLSH:サブカルチャー |
ISBN | 9784832933897 |
NCID | BB18351811 |
書誌ID | B000550835 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
宮沢賢治は元祖「セカイ系」だった!?小説、マンガ、映画、アイドル、ゲーム、ネット空間…錯綜する日本のサブカルチャーを読み解く。
[目次]
はじめに―日本サブカルチャーを読むための史的展望
1 サブカルチャーの多様な展開(セカイ系文学の系譜―宮沢賢治からゼロ年代へ
山川直人『100%の女の子』における合成の機能―村上春樹の原作小説との対照
『食堂かたつむり』試論―倫子のイメージをめぐって
生と死の狭間で歌う少女―AKB48から美空ひばりへ、リン・ミンメイへ
ドライビングゲームにおいて、いかにして「物語」はマウントされるのか、あるいはされないのか)
2 キャラクターから複数の物語へ(“操り”という亡霊―東川篤哉『ここに死体を捨てないでください!』
pixivという未来―「クィア・アダプテーション」としての二次創作
“関係”を書くことの可能性―百合小説・中里十『君が僕を』論
ミステリとライトノベル―谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズにおける物語世界の構成)
3 サブカルチャーを理解するための新たな枠組み(物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム―『バイオハザード』を例として
サブカルチャー批評の現在と未来―三・一一以後のサブカルチャー批評は何を表象すべきなのか)
あとがき―戦前期の大衆文学論に触れながら
[あらすじ]
宮沢賢治は元祖「セカイ系」だった!?小説、マンガ、映画、アイドル、ゲーム、ネット空間…錯綜する日本のサブカルチャーを読み解く。
[目次]
はじめに―日本サブカルチャーを読むための史的展望
1 サブカルチャーの多様な展開(セカイ系文学の系譜―宮沢賢治からゼロ年代へ
山川直人『100%の女の子』における合成の機能―村上春樹の原作小説との対照
『食堂かたつむり』試論―倫子のイメージをめぐって
生と死の狭間で歌う少女―AKB48から美空ひばりへ、リン・ミンメイへ
ドライビングゲームにおいて、いかにして「物語」はマウントされるのか、あるいはされないのか)
2 キャラクターから複数の物語へ(“操り”という亡霊―東川篤哉『ここに死体を捨てないでください!』
pixivという未来―「クィア・アダプテーション」としての二次創作
“関係”を書くことの可能性―百合小説・中里十『君が僕を』論
ミステリとライトノベル―谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズにおける物語世界の構成)
3 サブカルチャーを理解するための新たな枠組み(物語としてのゲーム/テレプレゼンスとしてのゲーム―『バイオハザード』を例として
サブカルチャー批評の現在と未来―三・一一以後のサブカルチャー批評は何を表象すべきなのか)
あとがき―戦前期の大衆文学論に触れながら
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