<図書>
キオク ト リアル ノ ユクエ : ブンガク シャカイガク ノ ココロミ
記憶とリアルのゆくえ : 文学社会学の試み / 亀山佳明編
データ種別 | 図書 |
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出版者 | 東京 : 新曜社 |
出版年 | 2016.3 |
所蔵情報を非表示
巻 次 | 予約 | 刷 年 | 配架場所 | 請求記号 | 資料番号 | 状 態 | コメント | 仮想書架 |
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越谷図書館(B1一般書架) | 904||Ka36 | 1000555142 |
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書誌詳細を非表示
出版年 | 2016.3 |
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大きさ | 266p ; 20cm |
一般注記 | 参考文献あり |
本文言語 | 日本語 |
著者標目 | 亀山, 佳明(1947-) <カメヤマ, ヨシアキ> |
分 類 | NDC8:904 NDC9:904 |
件 名 | BSH:文学と社会 |
ISBN | 9784788514652 |
NCID | BB2102410X |
書誌ID | B000828764 |
目次/あらすじ
日外アソシエーツ『BOOKPLUS』より
[あらすじ]
文学の魅力を、もう一度!文学には社会の深層が如実に映し出されずにはいない。漱石から村上春樹までの、個人主義、記憶、身体論、終末期医療などの表現のなかに、現代の「リアル」をさぐる、スリリングな「文学社会学」の試み。作田啓一氏の長編論稿を収録。
[目次]
寺田寅彦における追憶の形式
分身と記憶―古井由吉「朝の男」をめぐって
村上春樹と個人主義のゆくえ
『ボヴァリー夫人』から『アンナ・カレーニナ』へ―三者関係論と二つの不倫小説
管理される生と生きられる身体のあいだに―『ウィット』に描かれる終末期医療
かけわたす人、円朝
文学からの社会学―作田啓一の理論と方法
日本近代文学に見られる自我の放棄―伊藤整の枠組に従って
日本近代文学に見られる自我の放棄(続)―リアルの現れる場所
[あらすじ]
文学の魅力を、もう一度!文学には社会の深層が如実に映し出されずにはいない。漱石から村上春樹までの、個人主義、記憶、身体論、終末期医療などの表現のなかに、現代の「リアル」をさぐる、スリリングな「文学社会学」の試み。作田啓一氏の長編論稿を収録。
[目次]
寺田寅彦における追憶の形式
分身と記憶―古井由吉「朝の男」をめぐって
村上春樹と個人主義のゆくえ
『ボヴァリー夫人』から『アンナ・カレーニナ』へ―三者関係論と二つの不倫小説
管理される生と生きられる身体のあいだに―『ウィット』に描かれる終末期医療
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